24時間TV.......終わりましたねぇ、今年も。
毎回この番組ではチャリティってものの本質を考えさせられるんですよねぇ。
ふっふ~ん♪だがしかし 意見には個人差があります ってばさw
だから僕の個人的な意見を知りたくない人は続きを読まないでいいです。
[0回]
あ、僕チャリティーの本質が守られているってやつ信じてません。
今の社会で行われてるチャリティーは
偽善に彩られて集まったお金をとりあえず目立つ場所に廻してるだけですね。
「持ってるところから持たないところへ」
うん、確実に正解ですけどそこにあるのは上から目線
でももともとない所に持ち込まれたものはあとあと更なる不足を作るのな。
「助けてあげたい誰かが居る」
ふむ。
そしてそれは晒し者にしてでも刹那をやりすごし
死ぬまで保護していく覚悟に出来るのか?
つか、知らない誰かを助けるより自分の周りに助けを求めてる命、案外居ますって。
自分が出来る寄付をその人にしてみるといいよ。
喜んでくれる場合しばらくしつこく依存されてうざったくなって逃げたくなるだろうし
なにより、自分はその人よりは上だって自己満足ダイレクトに味わえますから。
しかしその態度は必ず表情に表れてしまうので
いつか寄付した個体に刺されかねねぇです。
縁の切れ目もあなたの優位も地獄の沙汰もカネ次第ですが
それでも良ければがんばれよ~?
拒絶されたらいらだたしさも相手に対する反感も感じること出来るだろうし。
してやろうってのに何さま?って感情が少しでも沸いたら貴方は偽善者。
自分が気持ち良ければ相手もなんて
勝手に思い込んで期待して裏切られたくなきゃ相手の目線まで降りなさい。
そしたら相手がホントにして欲しい事見えてくるんだけど、
それって多分あなたには「荷が重い事なので~ごめんなさい?」って逃げる理由になりますよ?
まぁ、そういうダイレクトな感覚感じなくて済むとか
支援の責任誰かにおっかぶせられるから寄付するんだろうけどね。
僕が昔されたから感じている今のチャリティってものの現実は
渡す側の一過性の感情のゆらぎなんだよね。
自分がこうでなくて良かったぁ♪っていう感情のさせる視線の下で
俺が貰ったけど俺、今は要らないから
無作為に選んだお前らにくれてやるっていう感じの。
買っては置いたけど使わなかった。だが無駄になるより
好き嫌い言えねぇおまえらにやると。
さぁ、俺の不要なものでお礼を言え、見てやるから芸事を披露して見せろと。
どんだけうまく出来ても社会に出てきたら差別して受け入れてやらねぇけど
今ここでして見せる分には褒めてみせてやってもいいからやれと。
ところで本質は何処に消えてるんだろうね。
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